文句由比之介

たかが一介の(しかもよがんだ)ファンである私が何を言おうと、秋山様の天下である事は事実だ。
それは認める。アンタは偉い、良くやっている、さすがである。
だが、どうしても許せない事がある。

相手を気絶させるためだけのフロント・ネックロックは、反則だ。
身体が正常な状態でなくなるという点において、気絶というのは怪我と同じだと思う。
試合中に弾みで怪我をさせてしまうというのは、仕方がない。あまり褒められたものではないが。
しかし、それだけを目的とした攻撃は、ブーイングされてしかるべきだ。
だから日曜の秋山は、パイプ椅子で三沢の肘を攻撃したベイダーと同じなのだ。少なくとも私にとっては。
ましてやあの時はゴング前のしかも花道で、レフェリーがいなかった。
田上にはロープに逃げる事も、タップする事もできなかったのだ。
当然秋山のする事だ。そんなのは計算ずくだろう。それがまた、私の癇に障る。

あれがもし田上でなく小橋だったら、秋山はああまで絶賛されたろうか?そう考えるのは、私の僻みか?
そこまでして盛り上げなければならないものか。
田上が秋山に本気でやり返すとしたら、本気にならない事だ。挑発に乗らずにいつも通りの試合をして、ブーイングを浴びる事が最大の復讐だ。
怒ってキレた田上は確かに魅力的だけれど、それが自発的なものでない限り、私には何の価値もない。
バカにされても結構。呆れられようが知った事か。
田上のファンであるとは、そういう事だ。でなけりゃ、こんなハンドルを名乗ったりはしない。

あの日会場に1800人の観客がいた。仮に1799人が秋山を賞賛したとしても、私は喜んで少数派の烙印を押されよう。
それこそが、私にとっての勲章だから。