no smoke without fire

途中でネカフェに行ったりパワー・インフォを聞いたりしたものの、netとプロレスから約一週間離れてみてつくづく思ったのは、人間、プロレスより大事なものがあるんだなぁということ。
何をいまさらという感じだが、そのくらい私にとってnetもプロレスも大きなもので、出掛ける前は不安で寂しくて仕方なかったのだが、いざ極限状態に陥ってみると、なきゃないなりに何とかなってしまった。
それで思ったのは、プロレスは私にとって主食ではなかったということ。仕事とか親戚関係とか避けて通れないものこそ、人生には大事で必要なものだった。本意ではないけれど。
そしてならばプロレスが何だったのかと自問すれば、やはり嗜好品みたいなものなんじゃないか。
酒やタバコと同じで、ある人間には不要でも私にはかなり重要なもの。なきゃないで生きてはいけても、暮らしに張り合いがない。キツい仕事の後に手にする1本のタバコが、泣きたいくらい美味いのと同じで、切ない日常から開放してくれる存在。
ただ嗜好品だけに、過剰に摂取すると中毒を起こすし、日常が疎かになるという点も似ているかも。

久しぶりに戻って来たら、半オフということもあって、状況はあまり変わっていなかった。大すけは相変わらず無茶をやってるし、多聞はじっと沈黙を守っている。それだけが嬉しくて、安堵した。
秋山のドーム出場や、森嶋のGHC挑戦については、特に感想がない。いつものいじけモードや諦めじゃなくて。何か意見があるというのはそれだけ関心があるということで、今の私の容量ではとてもそこまで手が回らない。やはりこれも今回の旅で痛感したのだが、怒りを持続するのにはとてつもないパワーが必要で、それはある意味、愛することよりも手間隙がかかるんじゃないかと。
遠い町でふとそんなことを考えた時、私の脳裏に浮かんだのは、『愛』を口にしながらも殺気に満ちて石川雄規の頭を蹴り上げるバト時代の大すけの姿だった。
私は今、感情が制御できなくなるくらい人を憎んだり、愛したりしていない。実生活では、そうしなければいけない状態にいるのに。
ただ、温かいものよりもあの殺伐とした雰囲気に惹かれているうちは、私はまだ大丈夫なんじゃないかという気がしている。身体が疲れている時に限って、口当たりの良い酒よりも匂いのキツい濃い酒が欲しくなるように。逃げたら終わりだ、日和ったりするもんか。